2018年8月28日火曜日

ジプリの鈴木敏夫氏 美しいタイ人女性カンヤダの父になる。

NEWSポストセブンさんのWEB記事から

鈴木敏夫氏 ある美しいタイ人女性の中に「宮崎駿」を見る







日本を代表する作品を次々と生み出してきたスタジオジブリは、この人なくしては存在しなかった──プロデューサー鈴木敏夫さんは、宮崎駿監督と今年4月に亡くなった高畑勲監督の2人の天才を励まし、時に振り回され、ぶつかりながらも力を引き出してきた。現在『君たちはどう生きるか』を制作中の彼が、初めてのノンフィクション・ノベル『南の国のカンヤダ』がこの度刊行になった。

 そこに綴られているのは、ある1人の美しいタイ人女性と、彼女に振り回される男たち(鈴木さん含む)の実話。どうしてもこの作品を書きたかったと話す鈴木さんは、彼女の中に宮崎駿さんを見たという。

 スタジオジブリの名プロデューサーが初めて手がけたノンフィクション・ノベルである。主人公は、マンションのエレベーターで偶然、知り合った、美しいタイ人女性カンヤダ。過去を悔やまず、未来を憂えず、いつも〈今、ここ〉を生きている彼女に、周囲が巻き込まれ、振り回される様子を実に楽しげに描く。

「カンヤダと家族、その友人の話にとどまらないで、ぼくの友人や担当編集者まで全部巻き込んで動かしていく、大きな物語として書いてみたいと思いました。

 世の中って偶然に偶然が重なるんですよね。ぼくとは25年来のつきあいになる、CGアニメーションの仕事をしているイタリア人のコルピさんなんて、日本にいたかと思うとバンコクへ行っちゃって。カンヤダと知り合い、彼女が家族ぐるみで働けるようにレストランをバンコクで始めちゃう。そういう不思議な人の縁も書いてみたかった」

 都会のマンションのエレベーターで乗り合わせただけの、鈴木さんとカンヤダがここまで親しくなるというのも不思議な縁だ。

「このマンションが特殊なのかな(笑い)? エレベーターで知り合って仲よくなった人が、30~40人はいます。たぶん100戸以上あると思うんだけど、エレベーターが1基しかなくて、同じ人と何度も出会うんですよ」

 大きなカバンを抱えた人がいれば、「カバンがでかいね」と話しかける。会話はそこで終わらず、ご飯を食べに行く関係になった人が20人ぐらいいるそう。エレベーターの中で知り合ったのは台湾や中国など外国の人も多かったが、カンヤダが他と違っていたのは、ニコリともしない愛想のなさだったという。

「若いときに好きだった女優の安田道代に瓜二つだったという以上に、媚を売らない感じが魅力的だったですね。エレベーターの中で話しかけるとだいたいみんなニコッとするんだけど、彼女はまったく笑わなかった。

 ぼくは海外によく行くんですが、テレビのキャスターがみんな怖い顔しているんですよ。日本ではへらへら笑っている、なんでだろう、って思ってたので余計に印象に残った。これからは日本にもこういう女性が増えてくるんじゃないか、カンヤダはその先駆けかな、なんて勝手に思ったりもして刺激されました」

 カンヤダは自分の感情に正直で、思ったことはすぐ口にする。大洪水で被害を受けた実家を何とかしたいと、仕事のスキルアップのため日本語を学びに来ていた彼女がタイに戻り、子供を産んでシングルマザーになってからも、LINEのやりとりが続いた。

 本にも書かれている通り、鈴木さんは、未婚の男女を見つけると放っておけなくなる「お節介」な性分だという。友人たちを誘ってカンヤダの故郷パクトンチャイを訪問したとき通訳をつとめた青年が、カンヤダに心ひかれるのを見て「お節介」は発動される。彼女がこれからどう生きればいいか、相談に乗り、生活の筋道をつけるという「へんな仕事」を彼に依頼するのだ。

 父が日本人、母がタイ人というこの青年も、鈴木さんの「カンヤダをなんとかしようプロジェクト」の一員に引き込まれ、さんざん振り回される。農村地帯に育ち、家族思いで結婚に失敗しているカンヤダと、バンコク育ちで、合理的にものを考える青年。育った環境も、ライフスタイルもまったく違う2人の恋のゆくえも、この物語の1つの柱となっている。

「『女性セブン』連載中、読者から『カンヤダはひどい女だ』『男性がかわいそう』って感想も届いたそうです。まあ、そうかもしれないなと思いますけど、彼は彼で、自分とはまったく違う彼女の生き方に感動したりもしてるんです」

 せっかく鈴木さんが資金を調達したスパ経営もうまくいかず、通訳青年の尽力で開店したパクトンチャイのレストランも3か月でクローズするはめに。〈今、ここ〉だけが大切で、損得勘定がまったくできず、自分のことをさておいても困っている誰かのために何かしようと動くカンヤダに、周りはあきれたり、驚かされたり。そんな彼女を見ることで、忘れていた大切な何かを思い出したりもする。

忙しい合間を縫って何度もパクトンチャイを訪ねるなど、鈴木さんはなぜここまでカンヤダという女性に肩入れし、助けようと奔走するのか。

「助ける、というのとはちょっと違う。好奇心です。実は宮崎駿に関してもそうだったんです。この人が将来、アカデミー賞をもらうだろうなんてカケラも想像しないで、一緒にいて楽しいし、この人はどうなっていくんだろうって気持ちだけがあった。

『今、ここ』しかないという点でカンヤダは宮崎駿にそっくりなんです。『引退する』って言って、『もう一回映画をつくりたい』って平気で言える。同じでしょう? ルールに縛られない、彼らのこの自由さは何なんだろうといつも思う。ぼくはその観察者です」

 仕事以外にももう1人、同じような人を抱え込むなんて想像するだけで大変そうだが、カンヤダ本人やコルピさんとのやりとりを話す鈴木さんは本当に楽しそう。「鈴木さんが人を呼び寄せるんだよ」と宮崎さんは言うらしい。

 連載終了後の4月に亡くなった、高畑勲さんへの思いを「エピローグ1」として書きおろした。「エピローグ2」は、「その後のカンヤダ」。紆余曲折の末、カンヤダのために、コルピさんが今年6月、バンコクにオープンさせた『メイのレストラン』(注・メイはカンヤダのタイでの呼び名)はとりあえず大成功を収めているそうだ。彼らの物語は、今も続いている。

【鈴木敏夫(すずき・としお)】1948年愛知県生まれ。徳間書店に入社し『アニメージュ』編集長などを経て、スタジオジブリに移籍し、映画プロデューサーに。スタジオジブリ代表取締役。近著に『禅とジブリ』がある。現在、金沢21世紀美術館で「スタジオジブリ 鈴木敏夫 言葉の魔法展」を開催中(~8月25日まで)。『南の国のカンヤダ』に関する展示もある。

■取材・文/佐久間文子(文芸ジャーナリスト)、撮影/五十嵐美弥

※女性セブン2018年6月21日号


この小説の主人公のカンヤダさんが住むパクトンチャイは、

はタイの東北地方(イサーン)でその中でもコラート(ナコーンラーチャシーマー)

の近郊にある。小さな町パクトンチャイはタイシルクで有名で、世界的に高い評価を得て

いる「マットミー」はあらかじめ染めた糸を使って幾何学模様を作る手織り絹布で

村人は頑なに伝統技術を守りつづけいるで有名です。

ジムトンプソンなど有名店の工場があったりします。

鈴木 敏夫 さんは、どこまでも続くパクトンチャイの田園風景を見ながら散歩をする。

だんだんと日が落ちていき、夕方になると、大人たちは誰かの家の庭先に自然と集まり、

酒盛りをはじめる。子どもたちは近くの川で水遊びをして、はしゃいでいる。

そうした風景を見ていると、なぜか子ども時代に夏休みに帰省したときの

思い出がよみがえってきたりする。

その街で大家族と暮らすシングルマザーのカンヤダは、真っ直ぐ正直に生きている。

端から見たら不器用だ。もっと上手に生きればいいのにと思う。


だけど、彼女は決して、自分の生き方を変えない過去を悔やまず、未来を憂えない。

いつも“今、ここ”を生きている。

でも、だからこそ私は彼女に惹かれていったそうです。 


鈴木さん、今年70歳。なんという、世話好きで行動力がある人なんだ。







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